くるりの音楽が教えてくれた裏垢の楽しみ方

裏垢をやっていると、気づいたら人が入れ替わっている。

フォロワーが変わる。 DMをくれる人が変わる。 一緒に遊んでいた人が、気づいたらいなくなっている。

アカウントも飛ぶ。 何度飛んでも、また始まる。

これは問題なのだろうか、とずっと考えていた。

続かないのは自分のせいか。関係を維持できないのはスキルが足りないのか。もう少し上手くやれれば、もっと安定した場ができるんじゃないか。

何度かそういうことを考えては、でも何かが違う気がして、結局答えが出ないまま続けてきた。

ある時から、これは欠陥じゃないと思うようになった。

構造の特性だ。

それを言語化するのに一番しっくりきたのが、くるりだった。岸田繁という人間が、ずっと自分の求める音を探し続けながら、それでも場を成立させ続けているあり方が、何かと重なった。

変化し続けることで成立する

くるりというバンドは、ずっと変わり続けている。

「さよならストレンジャー」の頃の剥き出した衝動と、「TEAM ROCK」のポップさと、「THE WORLD IS MINE」の拡張感は、正直まったく別のバンドに聴こえる部分がある。

普通、こんな変化をするバンドは崩れる。ファンも離れる。「昔の方が良かった」という声が積み重なって、いつの間にか求心力がなくなっていく。

でもくるりは崩れていない。

なぜか、と考えると、人ではなく空気で繋がっているからだと思う。

くるりを好きな人は、特定のアルバムを好きなんじゃなくて、「くるりという感触」を好きでいる。だから曲調が変わっても、メンバーが変わっても、「これはくるりだ」という感覚が残る。

裏垢も、これと同じ構造だと気づいた。

アカウントが変わっても、フォロワーが入れ替わっても、「この人の場に来たい」と思ってくれる人がいる。それは発信の内容よりも、漂っている空気を好きでいてくれているんだと思う。

関係は”所有”ではなく”編成”

「ワルツを踊れ Tanz Walzer」を聴くと、いつも同じことを考える。

美しいものは、固定されていない。
流れているから美しい。

裏垢での関係も、そうだと思う。

特定の誰かとの関係を維持しようとすると、どこかで執着が滲む。LINEの返信が遅くなっただけで不安になる。久しぶりに会った時の温度感が気になる。次のアポを早めに取りたくなる。

この感覚、自分にも何度かあった。

執着は、相手にとっての圧になる。圧は、関係を形式的にする。形式的になった関係は、やがて重くなる。重くなった関係は、フェードアウトという形で終わる。

皮肉なことに、手放したくないから執着するのに、執着するから手放される。

関係を”所有”しようとすると、関係は硬直する。

でも”編成”として捉えると、人が入れ替わることが崩壊ではなくなる。今ここにいる人たちと、今この空気を作る。次のフェーズには、また別の人と別の空気を作る。

それを繰り返していくと、自分の場には「自分らしい空気感」だけが積み重なっていく。

フェードアウトは失敗じゃない

裏垢をやっていると、ネガティブに解釈されやすいことがいくつかある。

既読スルー。
フォローを外される。
ブロック。
フェードアウト。

以前はこれを全部「失敗」として受け取っていた。何がいけなかったのか、どこで間違えたのか、自分の何かが足りなかったのかと、ひとつひとつ検証していた時期がある。

でも「NIKKI」とか「ばらの花」を聴いていると、なんか違う気がしてくる。

あの曲の中の別れは、失敗じゃない。
フェーズが変わっただけだ。

季節が変わるように、人の場所は移動する。今の自分に必要な場所に向かっているだけで、それはこちらへの評価ではない。

裏垢で誰かが離れていくのも、たぶんそれだ。その人の今のフェーズと、自分の今の場が、ずれた。それだけのことだ。

引き留めようとすることの方が、おかしい。

それより、今ここにいる人との時間の方に、もう少し集中した方がいい。そう思えるようになってから、離脱が気にならなくなった。

コアは”空気”だ

くるりがジャンルを変えても「くるり感」が残るのは、岸田繁の作る空気があるからだと思う。

歌詞の温度感。音の選び方。何かを言い切らない余白。

それがあるから、編成が変わっても崩れない。

裏垢も同じで、コアが”人”だと崩れる。特定の誰かがいなくなった瞬間に、場ごと消える。

でもコアが”空気”だと、人が入れ替わっても場は残る。

自分がどんな空気を作っているか。それだけが残る。

アカウントが何度飛んでも、また集まってくれる人がいるのは、たぶんそういうことだ。フォロワー数でも発信力でもなく、自分の作る空気感を覚えていてくれている人がいるから。

これは再現性の話でもある。

ノウハウを学んで上手くやろうとしても、空気のないところには人は集まらない。逆に空気があれば、多少やり方が変わっても、場は成立し続ける。

前に出ない支配、ではなく浸透

仕切らない。 盛り上げようとしない。 でも、気づいたら場の空気は染まっている。

岸田繁は、出てくる人だと思っている。発言もするし、音の個性も強い。主張している。ただ、支配しようとしている感じがない。

彼がやっていることは、探究だと思う。

自分の求める音を探して、ジャンルを変える。実験する。メンバーを変える。周りが「え、またか」と思うようなことを、平然とやり続ける。いい意味で振り回す。でもその振り回し方に、「俺についてこい」という空気がない。ただ自分の音を探しているだけ、という感じがする。

だから圧がない。

自分の裏垢の動き方も、近いかもしれない。グループに割り込まない。空気を仕切ろうとしない。でも、少し時間が経つと、その場の雰囲気の方が自分に寄ってきていることがある。

支配ではなく、浸透。

前に出て場を作ろうとすると、人は少し構える。でも染み込んでいくと、気づいた時には自分の空気になっている。どちらが強いかは、言うまでもない。

流動性が魅力になる

「安定した関係を作ること」が正解だと思っていた時期がある。

固定した相手、繰り返し会う人、長期的な繋がり。そういうものを積み重ねることが、裏垢の上手いやり方だと信じていた。

でも今は、流動性そのものが魅力になるんじゃないかと思っている。

常に変化しているから、新しい何かが生まれ続ける。人が入れ替わるから、場に飽きがこない。アカウントが飛ぶから、毎回ゼロから作り直す感覚がある。

この不安定さが、ある種の人を惹きつける。

「ずっと同じ場所にいる」より、「ここに来ると何かが起きる」という感覚の方が、磁力になる。

固定された場所には、固定された人しか来ない。でも動き続ける場所には、その動きに乗れる人が集まってくる。どちらがいいかは一概に言えないけれど、自分には後者の方が性に合っている。

変わり続けることが、成立の条件だ。


裏垢をうまくやる方法、みたいな話ではたぶんない。
でも、自分がなぜこの動き方になるのかを考えた時、
くるりの音楽や岸田繁のあり方を通すと、かなりしっくりくる。

人が変わっても、空気が残る。
形が変わっても、芯は残る。

そういう感覚で、自分はずっと楽しんできたんだと思う。


最後にくるりの名曲「春風」を載せておく、春なので。

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